こんにちは。
マダムあずきです。
試験の思い出
今週のお題「試験の思い出」だったもので、
ワタクシ的に思い出と言えばまたこの話。
今でも検索いただくのはこの記事 ↓
中学生のときの動き
脳内に残っている受検の記憶です。
中1
→小学~中学~高等部のある普通科Ⅰの学校見学へ。
通学バスのバス停まで車で片道30分。直接学校まで送迎車で片道50分。
交通機関の繋がりなし。
寄宿舎を希望したものの、定員いっぱいで
高等部からの入舎枠がないとのことで断念。
中3
①番目の学校
職業学科の単設校。
学校見学など受付申し込みをしたものの
学校からの申し込み順で先着順だったため
希望した学科の見学はできなかったが違う学科の見学をする。
学校の雰囲気はつかめたものの
教育相談で受検の相談をすると難しいと言われる。
②番目の学校
自宅からバス乗り継ぎで通学可能。寄宿舎もある。
しかし生徒のレベルが高くて、いろんな資格試験に積極的に取り組んでいますとのこと。知的に難しいと感じる。
教育相談まで至らず。
③番目の学校
自宅から距離は近いものの交通機関の繋がりがない。
学校見学はできたが知的レベルに難しいと感じる。
寄宿舎なし。通学生のみ。
④番目の学校
学校見学も寄宿舎も雰囲気もOK。
教育相談を受けると「大丈夫だと思います」とのこと。
受検校を決めて、あとは本人と学科について考える。
受検本番
④を出願したら定員オーバー(4人)
見事に不合格。。。。_| ̄|○
二次募集で定員割れしている学校を探すと①が1名募集しているので
願書を出す。もう一回書かされる。
面接や試験はいつなのかしら?と思っていたら
なんと
試験は
一次試験の点数で決まるとのこと。(驚愕)
1名の枠に
マダム子君ともうひとりいて
みごとに不合格。。。_| ̄|○
おい!だったら願書もそのまま使えばいいじゃんか!ヽ(`Д´)ノプンプン
もう一回書かされたから面接ももう一回あるかと思ったよ!
この時点で
4桁人数いたこの年の養護・支援学校の受検者数は
なんと残り2人・・・・・。。。_| ̄|○
4桁人から最後の二人になるとは思いもよらず。
家族一同放心状態で
最後に定員割っている学校の定員割っている学科に入学手続きをして
やっと入学に至ります。
卒業して思うこと
マダム子君の学校でも
卒業するまでに何人も退学者が出ています。
学科や学校を選んで入学しても(中学校の先生はここがゴール)
その年のクラスメイトや担任の先生、寮の担当先生やルームメイトは
その時々の運次第。
マダム子君は一見不運のように見えますが
結果としては充実した3年間を送り、卒業できました。
受検の対策で
学科や学校への志望動機をしっかり覚え過ぎたせいで
2次募集での進路変更が受け入れられず(自分が行くのはここじゃない感)
高校進学ができなかったお子さんがいたこともあると聞きました。
マダム子君は良くも悪くも
不合格になってから
やっと中学校でやっていた面接や試験の練習の意味を理解したようです(遅い)
だから④校へそこまでの熱意と執着もなかったのが逆に良かったのかもしれない
です。
「にんずうがあいてて、おれがいってもいいってところにいく。」
最終的に入学に同意したときのマダム子君の言葉です。
母は泣きました。至らなくてごめんと。
結果的に自分たちでは選択肢に入っていなかった
ここの学校へ入学し、卒業できたこと
すごくよかったです\(^o^)/
人生どう転がるかわからないものです。
結局いろんな学校を受検してバラバラになっても
卒後、地元の事業所や会社へそれぞれ通っているのをみると
高校はあくまで通過点。
落ちたことで何もかも終わるわけじゃないってことです。
それはきっと
進学した後に「ここじゃない」と思って退学し
違う進路に進んだお子さんにも言える事でしょう。
それぞれが得意なことを伸ばして
経験を積み重ねられるような学生生活が遅れるといいですね。
そんなことを思った
今週のお題「試験の思い出」
です。
はじめましての方はこちらもどうぞ\(^o^)/
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読んでいただきありがとうございます