こんにちは。マダムあずきです。
少々重たい独り言なので、読みたくない方はスルー願います。
もしかして、後で削除するかもしれません。
中期死産した経験があります。
医師から胎児の染色体検査をするか?と聞かれ
そのときは強制ではないこと、
確率的に次の妊娠に影響するものとは思えないと言われたことで
そのまま火葬することにした。
検査に出すと、胎児が戻ってこられない。
一年後妊娠。それが現在の我が子。
重度の悪阻で入院、中期の切迫早産を乗り越えての出産。
産まれたときは何事もなく
この障害がわかったのはそれからかなり経ってから。
さらに歌舞伎症候群と診断されたのは15歳のとき。
もう調べる術はないけれど、
もしかしたら妊娠中の出来事は、命が自然淘汰しようとしたものを医療の力で食い止めていたことなのかもしれない。
もしも
死産したあの時に何かしらの検査をしていたら
私は次の妊娠をしただろうか?
きっとしなかった。
深く考えずに妊娠しないという選択をしていたと思う。
そして思う。
私は今現在育てている子の存在を否定しているのか?
そんなことはない。
辛いこともたくさんあったけど。
だけど、こういう子育てだって産む前にわかっていたら?
自分はそれでも妊娠を希望した?
いや、わからない。
出生前診断ってきっとこういうことなのだろうと自分なりに思う。
誰だって自分がどういう子を育てることになるのか
特に妊娠中にナーバスになっている妊婦さんが不安になるのは当然だ。
昔なら生まれるまでわからなかった、
神様の采配のようなものが
事前にできるようになった。
私はその後、婦人科系の手術で子宮を全摘したけれど
潔く全摘に踏み切ったのは
「もう二度と妊娠出産しようとは思わない」からであって
もう産まないと決めているのは
二人目も障がい児だったら育てられないという気持ちがあるからで。
それって、障がいある子を否定していることになるのか、と問われるとNOと言える自信もない。
そんな風にしっかり自分の信念のようなものがあるのかわからない。
自分がこういう思考になることが
差別なのではないか。
無意識に差別的な意識を持っているのではないか。それが怖いと思う。
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産まれる前に亡くなった子は戸籍には記載されない。
しかし母子手帳をもらい
死亡届を出し、市役所で火葬の手続きをして空へ帰った子。
15歳の時に診断してくれた遺伝内科の医師は
「この子が将来、子どもを希望した時には
二分の一の確率で遺伝した子どもが産まれます。」
それを聞いた瞬間は、それほどショックではなく
そもそも障害のあるこの子が将来結婚するとも思えなかったころ。
しかし、過去の強制不妊手術の訴訟のニュースをみたりすると
結婚するしない、子どもを持つ持たないは息子の人権にかかわる問題であって
私がどうこうできる問題ではないということ。
その結果、産まれた子がどういう状態で産まれてくるのか
わかっていても私にどうこうできる問題ではないと気づいてしまった。
【時事メディカル】ダイバーシティ(多様性)|障害を持っても華やかに|障害のある子どもを産んだ母親は神様に選ばれたの?強くないといけないの? https://t.co/yTMeQnOKv2 #時事メディカル
— あずき (@azuazuazukina) 2021年4月19日
私も重荷でした。
私はそんなにしっかりした人間じゃない。
最後まで読んでいただきありがとうございます 。