マダムあずきの意識低い系ブログ

ステキ主婦に憧れながら意識低い毎日を生きる。築古自宅をスッキリさせて暮らしたい願望。猫さん5匹自閉症の息子と難病夫との暮らし。本質はズボラ主婦。

はきごこちのいいおパンツ(下着)について考える

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こんにちは。マダムあずきです。

風水的に古い布物を処分して厄落としがいいとのこと。

わかりますわかります。

古い服や、予備でとっておいたシーツなんてほとんど出番ないですものね。

 

 

 

ワタクシ、収納下手なりに

だいぶ服の処分ができるようになってきました。

 

 

 

だがしかし

どうしても潔く処分できない

古い布があるのです。

 

 

 

それが「おパンツ」

 

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女性にとって大事なものですね。

 

 

 

 

 

 

若かりし頃、下着は洋服の一部のような存在で

つけごこちなんかは二の次でした。

とにかくかわいいとかきれいとかが基準で選んでいました。

そしてブラとセット。

上下揃ったかわいい下着は気分のよいものでした。

 

 

しかし

下着も永久に使えるものではありません。

どうしても下だけが酷使される状況になります。

もしくは上下揃って使いたいときのために

普段は違うのを使うなど、本末転倒なことも。

 

 

よれよれになった下のおパンツは

さようなら~となるわけですが

同じタイミングでブラはまだ元気だったりする。うーん。(-(-"-)

 

 

 

 もともと処分が苦手なワタクシ

若いころはもっと捨てられない人だったのと、ブラのお値段がそこそこするものだったりするとなおさら処分なんてとんでもない。

 

 

 

お店で似たような色味のおパンツを買って

そしてお揃いじゃないけど変でもないような感じで使い続けていました。

 

 

 

そんな下着事情。

これがもうちょっとで30代になろうかというころのミセスあずきさん。

根本的にひっくり返るような経験をすることになります。

そう

「妊婦パンツ」

の登場です。

 

 

 

 

このどでかい妊婦さん用のおパンツ。

今までのは何だったのかというほど面積が広く

お腹もおしりもゆったり包んで守ってくれる安心感。

お腹は冷やしちゃいけないよと

おばあちゃんが言っていたのを思いだしました。

 

 

妊婦パンツに落ち着いてお腹はどんどん大きくなり

臨月→出産を迎えます。

悲しいかな、堂々と妊婦パンツを使える状態が終わってしまったのです。

産褥期は専用のものを使っていたようなおぼろげな記憶。

 

 

お産が終わってしばらく、出かけることもないし子どもと家に閉じこもりっきり

朝も昼も夜もない生活の間は

誰にみられるわけでもないので

妊婦パンツ愛用していました。

 

体重がちょっと落ちたころ

妊娠前のおパンツを使うとどうも頼りない。

なんかペラペラだしおへそ隠れないし

おしりのサイズが変わったのか(大きくなったってことですね)

ちょっとしたことで「食い込む」

このパンツが食い込むという不愉快な現象。

ワタクシだけなのでしょうか。

若いころはデザイン重視で我慢できていたことが

産後は全く我慢ができません。

 

 

 

こうして妊婦パンツから

産前のおパンツに戻ることはなかったのでした。

 

 

 

 

 

ここまでくると妊婦パンツもかなりくたびれてきました。

新しくおパンツを購入しようと思いながらも

妊婦パンツを買うのは気が引ける。(なぜなら妊婦じゃない、ただの産後太りなので)

よれよれ妊婦パンツは

妊娠中から使ってきていて、まだ使えるからはいてるんだよ~って自分に言い訳できたけど

新たに買うのは負けた気がする(何に)

 

 

そしてワタクシが向かったところは

スーパーの衣料品コーナー。

昔母親がはいていたような、どでかいおパンツのワゴン。

ほうほう、なるほど。

人はこうやっておばちゃん化してゆくのだねぇ・・・なんて感慨深くなってみたり。

女30歳

羞恥心と諦めと自分を見つめなおす経験。

赤子抱えパンツのワゴンの前で物思いにふけるのでした。

 

 

 

 

よれよれおパンツ後日談

この後、

息子の発達のことで

とてもつらく悲しい時期を長く過ごします。人生の闇期です。落ちてます。最低です。

 

このころは家も汚家・汚部屋で

毎日息子を死なせないで過ごすことのみに全神経を集中していました。

 

市の保健センター内にある発達支援教室へ週4で通い

そこにいる間だけ正気を保っていました。

後の時間はどうしていたか、何をしていたか記憶がないんです。

人間つらいことは忘れないと生きていけないのかもしれませんね。

 

教室が終わって家に帰る車中、息子はだいたいこのタイミングでお昼寝に入りました。

しかし!家についてチャイルドシートから降ろすと起きてしまいその後は寝ません。

せっかく子どもが寝入った1時間半ってとても貴重で

たかだか帰路15分の移動で終わってしまうのはもったいない。

 

海が近い我が家は

帰宅途中に港や河川敷があります。

外に出ている間は正気を保っていられたのですが

車に乗り込んだ瞬間から家に帰るまで

何もしていない(運転はしてる)のに涙が止まらず流れ続けました。

まっすぐ帰らす、埠頭や河川敷で車を止め

ぼーっと大きな水の流れを眺めていると

そのままギアをDに入れて突っ込んでしまいたくなるのです。

 

 

そんなときに思うことは

死体が引き上げられたら、今日のパンツは無しだ。

家がぐちゃぐちゃだ。

タンスの中のよれよれおパンツ捨ててしまいたい・・・人目にさらすなんてとんでもない。

 

意外とクールな意識もあったりするのがなんとも。

→今日はだめだ。

→死後片付けを人にまかせたくない。

→時間できたら整理しよう。

→死ぬより恥ずかしいものは片付けて、身辺整理してから苦しまないで逝ける方法を考えよう。

 

 

と、毎日毎週毎月毎年、繰り返し、繰り返し、繰り返し・・・気が付けば息子は高校生。

今ワタクシは家をきれいに整理したい欲求があふれております。

しかし身辺整理ではありません。

前向きなお片付けです(*‘ω‘ *)どちらかというと終活に近いのかも(笑)

 

 

よれよれおパンツは数枚予備においておきながら

お値段がお手頃なはきやすいおパンツを探し求めています・・・

全部一斉に新しいものと交換!とはなかなかいけず。

(もし食い込むおパンツだったら困るので) 

 

 

 おパンツの入れ替えでふっと思い出したことでした。

あの頃のよれよれおパンツたち、つらい時期を支えてくれてありがとう。